趣味と暮らしにまつわる「モノ」に一喜一憂するブログ

☆もう映画館なんかいらない(個人の感想です)

映画関係者からぶっ叩かれそうなこんな記事を書こうと思ったのは、YAHOOニュースのこの記事を見た(読んだ)から

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181105-00027365-otonans-soci

「ああ、ものすごくわかるわー」と。

◎共感して思わず画面を見ながら「うんうん」とうなずいてしまった

この漫画を書いた人の気持は本当によくわかります。
私が神経質すぎるのかな、と思っていたのですが、同じように思っている人がいて多少救われた気分です。

◎とはいえ、すでに私の辞書に「映画館(で映画を見る行為)」は存在しない

件の漫画家さんはそれでも映画館に対して愛が残っています。
「映画館で映画を見ること」自体を本当に楽しみにしている。だからこそガッカリするし般若のような心持ちになる……のだと思います。
そういう熱心なファンの人が減る事は映画館業界としては損失であるはず。
「お願い」すればそれでオッケーだと思っていると本当に映画館はディスコンへの道をたどるんじゃないでしょうか?
現状に問題があるということを認識して頂いた上で、映画館側にはクレバーでクールな対策を望みます。

一方でもう映画館には何も期待しませんよ、という私のような人もいます。
私は件の漫画家さんと同じような理由で、怒りのためにもう何年も前からよっぽどの事(同居人がどうしてもBlue-rayやDVDの発売が待てず、映画館でみたいと言った時)がない限り映画館には行ってません。

直接のきっかけになったのは子供がいないから少しでもマシだろう、とわざわざレイトショウを選んで見に行っていた時。
(私が足を運んでいたシネマコンプレックスはレイトショウは子供お断りとなっていた)

しかし。
そのレイトショウ(午前0時にかかる事が多い)に平気で子供を連れてくる親、そして自ら禁止としているのにもかかわらず、なぜかその親子連れを複数入場させる映画館側。
そんな事態が何回か続き、当然子供の仕事が発生(大声で泣く)した結果、「これはもう映画館は私が行く場所ではないのだな」とまあ、要するに絶望したわけです。

◎映画は自宅で見よう!

昔からあるビデオ(DVDやBlue-ray)のレンタルだけでなく、ネットの普及もあって今では配信サービスが複数あります。まあ、この中で物理的な円盤を貸し出すというサービスはこの後ジリ貧になっていくのでしょうね。

要するにわざわざ映画館に足を運ばなくてもコンテンツの視聴は容易になっているということです。

◎プロジェクター&スクリーン時代

私が映画館に絶望した頃はまだレンタルビデオが主流でした。
また、その頃自宅にあったのはブラウン管テレビでした。
つまりレンタルビデオを使って迫力のある視聴環境を整える為にとった手段は、プロジェクターとスクリーンの組み合わせでした。
映画館といえば大画面ですから、奮発して120インチのスクリーンを購入。プロジェクターも買ってそこにレンタルビデオの映像を投影して楽しんでいたのです。

◎液晶テレビ時代へ

SONYが世界初(たぶん)の50インチ超の民生用液晶テレビを発売したタイミングで、それまで使っていた我が家のブラウン管テレビが不調になりました。
なのでこれ幸い? 大画面の液晶テレビを購入しました。
もちろんそれでビデオを鑑賞。
すると「もうこれで充分じゃね?」と思ったのでした。

ブラウン管と違って液晶ですから、画面にかなり近づいて楽しめます(2-3mくらい)。
要するに物理的に画面が大きくなるだけでなく、相対的にも画面サイズが拡大する環境が得られることになりました。

そうなるとテレビ画面の気楽さが際立ってきます。
120インチであろうが200インチであろうが私のような庶民は「ホームシアター専用ルーム」など用意できるわけがありません。
つまり「ホームシアター」を楽しもうとすると、いちいちプロジェクターの設定やスクリーンの設置などが必要になるのですが、あれってけっこう面倒なんです。
52インチのSONY BRAVIAでDVDを見た私が「もうこれで充分じゃね?」なんて思うのは当然の流れと言えるでしょう。
プロジェクターも凝っている人は天井吊りなんかで楽しんでいるのでしょうが、こちらはプロジェクター台を使った視聴ですから、視聴場所なども制約がでてきます。
でも、テレビ画面ならそんなのもありません。

そんなわけで大画面テレビを買ってすぐに、それまでの機材は全て処分しましたっけ。

◎現状の問題

初の52インチ液晶テレビという点が、その後問題になってくるとは思いませんでしたが、現実に問題になっているのです。
何が問題って、我が家はまだ使ってるんですよ、その世界初の52インチ液晶テレビってやつを。
ぜんぜん壊れないんですけど?
SONYさんの鳴り物入りプロダクトで当時としては「フローティングデザイン」なんていって見た目にも凝ってましたし、たぶん本気を出しすぎてムダにオーバークオリティなものに仕上げちゃったんでしょうね。
買ったときはドキドキしていたのんですが、「SONYタイマー」の発動はおろか、未だに元気もりもり(死語?)で困っております。

何が言いたいのかといいますと、大画面時代のごく初期の液晶パネルなので、もはや画質的には旧旧世代。
要するに古いんです。省エネ性とか考えられていませんし、むしろそれより画質的にちょっとね、と。
アニメとかで顕著なのですが、グラデーションがアレ。トーンジャンプとかバンバンでますし、なめらかな動きも苦手で、エンドロールの文字などカクカクです。
色合いは……これは比較しないとわかりませんのでいいんですけどね。

今年の春に引っ越しした際にドサクサに紛れて買い換えようかとも思いましたが、そこは庶民の悲しさ。どこも悪くないのに買い換えるのはためらわれます。なので、もちろん持ってきましたとも。
密かに「引っ越しの移動中に壊れたらいいのになあ」と思っていたのは……内緒です。でも思ってました。願ってすらいました。
しかし、あの死ぬほど重いテレビはプロの引越し業者の手慣れた作業により無事に移設されてしまったのです。
電源を入れて問題なく視聴出来たときは心底がっかりしたものです。

◎最新大画面テレビが欲しい

画質のいい最新の、写真鑑賞用ディスプレイとしても使っているので、4Kとか8Kとかのモデルが欲しい。
あと黒がきれいそうだしコントラスト比は液晶には超えられない壁を持っている有機ELとかが欲しい。
サイズも今の52にはもう慣れてしまって小さく感じちゃってるので、できれば65インチクラスがいいなあ。
などと妄想する日々です。

というか、いわゆる大画面テレビなのに、ものすごく安いですよね、今。
マジでいい時代になりましたなあ(遠い目)。

◎映画館ファーストはいつまでも続かないのでは?

映画館以外の視聴体験をオススメしちゃう私ですが、当然ながら映画館との違いは認識しています。
まず、即時性。
例えば映画館の封切り日にAmazon Prime VIDEOやHuluでも同時に配信される、なんてことは現状ではありませんよね。

大画面はともかく、大音響という点について自宅ではかなりハードルが高いのも確か。
つまり映画館と同等の迫力を自宅に現出させるのは相当難しいともわかっています。
でも、個人的にはそこそこ大きめのテレビがあれば、映画館で端の席や後ろの席に座るより相対的に大画面かつ快適な、いや最適な位置で映画を楽しめると思いますし、あの「お前は客を難聴にする気かよ」的な大迫力の音響も、それを望むのならヘッドフォンなどをつければ充分代用になるでしょう。

そもそもパーソナルな視聴という形態に関しては、今では大画面すら求められてはいないのです。
だってスマートフォンで満足している人が多いのですから。

大画面が求められるのは複数で同時に視聴する時くらいかもしれません。
また、複数と言っても、家庭用の大画面テレビで映画を楽しむということを考えるとせいぜい4人程度なのかもしれません。
ですが、言い換えると4人以下なら映画館など不要、と言っちゃっていい気がします。

日本語字幕のあまりの酷さに耐えかねて、思わず「この翻訳者、ちょっとおかしくね?」なんて私語しても迷惑にならないし、いつでも一時停止できますからトイレだって宅配便受け取りだって、食べ物や飲み物の調達だって可能。「あ、今のとこもう一回」なんてリクエストも叶えられます。
映画館でマナーを守ってきちんと見るなんてことを考えなくてもいい。
更に言えば、気に入った映画をもう一度じっくり、なんて思う事は多々ありますけど、自宅なら複数回視聴するなんてイージーモード。なにより経済的です。

つまり各々のペースで純粋にコンテンツを楽しめるのは映画館ではなく、むしろホームシアターならでは、ではないでしょうか。

即時性については、時代の流れで問題は解決していくのかもしれません。
kindle本がいい例です。
以前は紙の本とkindle版の発売日にはタイムラグがありました。もちろん紙の本を売りたいから、リアル本屋への忖度、などという出版社側の都合でそうなっていたのですが、今では同日配信なんて当たり前になっています。
映画だって同じ道を辿らないとは誰にも言えないのではないでしょうか。

◎エンドロールの憂鬱

ついでだからずっと溜まっていた鬱憤をこの際晴らしましょう。
実は私「エンドロール大嫌い」派なんですよ。
映画って、エンドロールの時間がどんどん長くなってません?
テーマ曲も一曲だけでは足りなくてもう一曲要るというか、「サントラ買えや」的な商法にうんざり。

あんなもの(エンドロール)を延々見せられるのは苦痛で仕方ありません。
製作者はもっとエンドロールを楽しめる、つまりエンドロールを喜んで見たくなる仕掛けとか作ってくれないかなあ。
以前に時々ありましたが、延々とエンドロールを見せられた挙げ句、その後に意味不明なショートシーン、アニメ的に言うCパートのようなものをくっつけてるやつ。あれもイヤですけど、現状では映画製作に携わった関係者同士が「あ、私の名前があった」「うちの娘の名前が」的な、関係者のマスターベーション用タイムみたいなものじゃないですかね?
なのでエンドロールが始まるとビデオなどはそこで止めます。終了です。

とはいえ、映画館で見ていたときには我慢して見てました。
絶対に終わるまで席は立ちませんよ。
エンドロールも映画の一部だと主張する一派の言い分には納得できますし、私自身「エンドロールが終わるまでが映画」だと思います。見るのは苦痛ですけど。
そもそも映画館が暗い間は視聴タイムなので、当たり前のように発つべき時間ではないはず。

エンドロールが始まるとざわざわと席をたってスマートフォンの画面を見ながら我先に出口に向かう連中って、アレですよね、飛行機がターミナルについて「シートベルトサインが消えました」的なアナウンスをする前にガチャガチャシートベルトを外してハットブースのフタ開けるヤツと同じ臭いがします。

◎そうは言っても……

封切り日に配信されない現状では、問題を感じる人も多いでしょうね。
それは主に「映画館で映画を見る」という行為を生活上、重要なイベントだと認識している人たち。

多くは子供達。もしくはその親達。
夏休みや冬休みなどは子供向けなどで定番の人気映画が封切られますし、今どきの子どもたちはそういう映画を見ていないと「共通の話題を持たないヤツ」と認識され、仲間外れになる……などという図式もあるそうです。
それは子供だけではなく、「そう言うこと」を必要以上に気にする大人にも言えることです。
「話題になっている映画は見なくてはいけない」という強迫観念ですね。
私なんかはそう言うのってもはやマスコミの食い物、というか奴隷なんじゃないの? なんて黒い考えをもってしまいますが、人それぞれで、そういうことが大事な人がいてもおかしくありませんしね。
私には理解できませんが、そんな人達にとって「ロードショウ」で見るというのは大事なことなのでしょう。

あ。
今思いつきましたが、今の情報時代、早く見ないと思わぬ「ネタバレ」遭遇がありますね。
中には効きたくないのに悪意をもって内容をしゃべるヤツとかいますしね。
通勤電車の中で週末に封切られた映画の内容を得意げに、しかも大声で喋っているヤツって必ずいますからね。ああいうのはそれこそ映画業界がロビー活動などやって、リンチしても法律で裁かれないようにしていかないとダメなんじゃないでしょうかね。

それから、デートの定番としてのロードショウ。
映画館がなくなると、「映画に誘う」という行為は「自分の家(部屋)に呼ぶ」のと同義となってしまい、意中の彼氏、彼女をまずはデートに誘う、定番の「大義名分(?)」が一つ失われることになります。
マニュアルがないと男女交際一つできない昨今の風潮だと、この手の「テンプレート」は重要ですね。
まあ、私に言わせれば「デートで映画とか、バカじゃないの?」って思いますけど、まあ個人の感想です。
※映画館なんか(失敬)より、意中の彼氏彼女を誘うならデートなら水族館でしょ?
「えー、水族館? 興味ないし~」と言われたら、そんなヤツとは付き合わないほうがいいと思います。そう、水族館リトマス試験紙として使えるのです。
それに比べて映画館なんて「映画を見るだけだし」「映画を見ている時間って結局一人だし、デートじゃないよね」なんて防衛線を張られますし、なにより「映画見るだけなら別に浮気じゃないよね」という不倫のきっかけをつくる温床ともなってしまう諸刃の剣(もはや何を書いているのかわかりませんが、とにかく個人の感想です)。

え、動物園?
意中の彼、彼女が動物っぽい顔をしていなければセーフかもしれませんが、個人的には却下です。臭いし。

このような「もはや映画館など不要」派宣言は個人の勝手な考えなので異論の方が多いとは思いますが、少数派だとしても同じように考えている人はいるのではないでしょうかね。

◎なので

未だに映画館で映画を見る事がイベントの一つなのは間違いないにせよ、もはや「数少ない大衆娯楽」ではなくなっているのはたしかでしょう。
娯楽という大まかなジャンルではなく「動画」という範囲で考えても、私達にはそれを見るための選択肢は多く、映画館というのはむしろ選択肢としてのプライオリティは低いはず。
我々ユーザーというか利用者側が「文化施設としての映画館の存在意義はプライスレス」などと思うのは自由ですが、映画関係者がそんな考えでいると滅びの日は本当にもうすぐなのかもしれません。

私のように「もう映画館はどうでもいいや。つぶれれば?」なんて思っているダークサイドに落ちた人間のたわごとは無視していただくとして、映画関係者の皆様には、どちらにせよ「思わずすぐに見たくなる」ような映画をどんどん作っていただきたく。