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☆今年もまた年賀状のシーズンがやってきた。そして続々と届く喪中欠礼葉書

暮らし

今どき年賀状なんて出しているの? なんて言われることもある平成最後の年賀状シーズンでありますが、皆様に置かれましてはどのようにお過ごしでしょうか? 主に年賀状ライフ(?)に関して

私は出してますよ。
小学校の頃から連綿と続く「しきたり」であります。
基本的にドライで合理的な性格&ライフスタイルだと自負しているつもりなのですが、けっこうレガシーな行動も散見されるのは「だって人間だもの」的な部分なのでしょうかね。
まだソリッドな感じのドライで合理的な人間にはなりきれていないということなのでしょう。

◎なぜ人は年賀状を出すのか?

いや、人のことは他人事なので知りませんが、私に関して言えば……。
私に関して言えば……。
うーん……。
あれ?
なんで出しているのでしょうね。
なんというか、こう、一言でクールに表現できる「合理的な」言葉がどうにも見つからないようです。
強いて言えば「惰性」でしょうか。
惰性も長く続けると一つの歴史になるわけで、そうなると私にとっては歴史を途切れさせることの方が非合理になってしまうのでしょう。
なので、今年も出す。
惰性で。

そうは言ってもひところに比べると購入する年賀状の枚数も減りました。
我が家の場合、ピークは400枚買っていたんですが、ここ数年はずっと170枚です(細かい数字ですな)。
買うのは170枚でも、実際に出すのは160枚前後でしょうか。
多めに買う理由は「印刷ロス」です、ハイ。

◎年賀状は自作派

ピークの400枚時代は夫婦共通年賀状についてはデザインを渡して印刷屋さんとやり取りして作っておりましたが、私個人用、同居人個人用の枚数が少ないものについては、自宅プリンターを使って自作しておりました。
全体が300枚を切った頃からは印刷屋さんとのやり取り自体が面倒になって、全枚数を自宅プリントして作るようになりました。
印刷屋さんに頼むのもデザインなどはすべて自分で作成したものなので、要するに小学校時代から年賀状は自作派でございました。
なんというか、こういうのは自己満足が得られるかどうかが大事ですからね。
私の場合、ですが。

◎そして今年も欠礼葉書が届く

そしてこの時期、喪中欠礼葉書がポツポツと届くようになりました。
歳を重ねるごとに多くなるのはまあ、自然の成り行きなのでしょう。
今年はこの1週間で4通も届いてしまい、「ちょっと多すぎじゃね?」などと感じておりますが、今回はその喪中欠礼葉書を出してきた人に対する年賀状について。

◎多くの人が勘違いしている

喪中欠礼葉書を出してきた人に対して、皆さんは年賀状を送ってますか?
私は基本的に送っています。

が。
個人的にリサーチすると「喪中欠礼葉書を出してきた人には送らないのがマナー」だと考えている人が異様に多い事に驚いています。
いえ、毎年驚いているんですけどね。
ホンマに多いです。

というのも、同居人が「出さない派」なのです。
私は「普通に出す。むしろ絶賛出すぜ派」なので、この件については我が家は宗派がちがってしまっております。

私の宗派の経典にはこう書いてあります。
喪中欠礼葉書とは、「喪中なので来年は年賀状を出せないです、すみません」という文字通り「欠礼」報告書なのであって、「喪中の我が家に年賀状を送ってくるんじゃねーよ」という拒絶文書ではない。

そう。多くの人が勘違いしているんです。出していいんです。

一方同居人ですが、別に「勘違い」しているわけではなく、いわゆるはやりの「忖度」という言葉の範疇に入る行動をとっているわけです。
つまり「喪中欠礼葉書の意味を勘違いしているやつが多い昨今、こちらが当たり前だと思って年賀状を出そうものなら、「喪中はがき出したのに年賀状を送ってきやがって! 失礼にも程がある」的に思われてはたまったもんじゃない=触らぬ神に祟りなし」という行動原理であります。
まあ「事なかれ主義」ってやつですが、このご時世、身を護るという意味合いにおいては同居人の行動が「正解」なのかもしれませんね。

私?
私はそれでも出し続けますけどね。
だって……

◎年賀状は「予祝」だから

ファンタジー好き的に説明すると、予祝とは一種の呪文です。
それもいい呪文です。だって「祝」の呪文なのですから。

これもお正月によく聞くフレーズですが「めでたいめでたいって何がめでたいんだ?」的なやつ。「めでたいどころかヤなことばっかりじゃないか」なんて言葉が続くこともありますね。

これも「勘違い」です。むしろ大いなる勘違いと言っていいかと。
お正月に「あけましておめでとうございます」というのは、別に今がめでたい状態だからではなく、「年が改まりましたね。ついては今年一年は良いこと(めでたいこと)がありますように」とお互いに呪文を唱えあっているということなのです。
ええ、これから始まる年が「おめでたい」1年でありますように、という願いであり祈りであり、それを言葉にすることにより魔法を掛け合っているといえるでしょう。
「あらかじめ」「祝う」=予祝 という呪文なのですよ。

◎だから私は年賀状を出す

あまり会えない人に近況を伝えたりするのに役に立っているなんていう付随する機能が取り沙汰されますが、それより大事なのは、年賀状は「良い1年でありますように」という呪文が込められた呪符なのです。そう、それこそが「年賀状」の表の姿です。

言い換えるなら、あなたは誰に予祝をしたいのか? ということでしょうか。
喪中の人にはなおさら「今年1年があなたにとっていい年でありますように」という呪文を唱えたいと、私は考えるのです。

なので、今年も喪中欠礼を出してきた人にも、私の年賀状が届きます。
なので決して怒ったり恨んだりしないでくださいね、というお話でございました。

◎喪中の人へ ~欠礼葉書を出さないという選択肢~

我が家は喪中欠礼葉書は出したことがありません。
理由は既述の通り「勘違いする人がいる」からです。
喪中欠礼葉書を出すことによって、我が家へとどく年賀状が激減するのは目に見えてますから、出しません。
年賀状、つまり祝福の呪符はたくさん頂いたほうがごりやくありそうじゃないですか。

で、年賀状をたっぷり? 頂いたところで「寒中見舞い」を出します。「今年の年賀状は喪中につき欠礼させてもらいました。すんまへん」的な文面です。
これこそがたっぷり年賀状(予祝)を受け取る合理的な方法ではないかと自負していますが、皆さんはどうおもわれますか?