趣味と暮らしにまつわる「モノ」に一喜一憂するブログ

★ランエボへの道

その3(初出:2013/03/07)

わが家はみんな(と言っても二人だけですが)クルマ好きです。
モータサイクルも好きです。lifestyleの問題で今は所有していませんが、一緒に暮らし始めてずっと二人で週末にはツーリングを楽しんでいました。
引っ越しにより保管場所の確保が出来なくなったという理由で乗らなくなってしまったあとは乗り物を四輪車に変えてツーリングを楽しんでいました。
そう、クルマ自体も好きですが、二人ともクルマを運転すること自体が大好きなわけです。

そんなわが家なので二人とも「良いもの」に支払うお金は「相応」であれば高いとは思わないわけです。
要するに買えない物は買えないけど、買うものはそのクオリティと満足度に見合う金額であれば納得できるというもの。
つまり払える金額内に収まるなら、好きなモノを買おう、というスタンスです。
たびたび書いていますが、わが家は二人とも「値切る」という行為が出来ないので当然ながら事前見積は定価ベースです。
その話を妹達にしようものなら
「何考えてんねん!!ヽ(*`Д´)ノ」
と小一時間お説教を喰らうので、買い物のお値段の話は他人にしないのがわが家的ルールです。

で、何の話かというと、今回はとある賢者のお話です。
クルマを買う度にその賢者の至言が我々の話題になります。
それも我に返った時、というか金額を冷静に絶対値として見た場合の話です。
ブログなどでは過去に紹介したお話しなのですが、その至言をいただいた前と後とでは我々の心の持ちようが大きく変化したほど影響力のあるエピソードですのでこの機会にもう一度。
次にこの言葉を思い出すのは6-7年後でしょうしね。

※ひょっとして「ランエボ」というキーワードでこの書き込みにたどり着いてしまったへ。
あなたはマジで迷い込んでます。ここにはあなたの希望する「ランエボ」の話題はこれっぽっちもありませんのでお引き取り戴く方がいいと思います。
ホント、紛らわしくて申し訳ありません。<(_ _)>

「賢者の至言」

それは私の親友Aが車を買い換える相談を愛妻としていた時に生まれた言葉です。

親友Aはクルマ好き、しかも輸入車じゃないと満たされない感性を持つ者同士の縁で私と知り合ったわけですが、結婚前の数年間、彼は毎年のように新車のBMWに乗り換えておりました。
そんなクルマ道楽?な彼が奥様と一緒になると、さすがに毎年買い換えるという暴挙に歯止めがかかり、彼としては人生初となる「新車を買ってはじめての車検」を迎える事に相成ったとご想像下さい。

今までは新婚のパッションと第一子誕生などのどさくさでクルマの買い換に意識が向いていなかった親友Aですが、車検という人生、いや車生? に於ける大きな岐路を迎えたとたんに悪い虫……じゃなくて彼の血が騒ぎ出したわけです。

「今買い換えると何がいいだろう?」

そうです。
まさに私が今回陥ったものと同じ罠です。
親友Aがクルマ好きであることは奥様もそれなりにご承知なので車検というタイミングで乗り換えるのもアリかな、と親友Aを泳がせていた奥様のご様子を、これまたご想像下さい。

クルマ好きな彼は昔取った杵柄……じゃくて「ちょっといいかも?」と思った車種をいくつかリストアップすると、会社をさぼって……じゃなくて余暇を利用して試乗・見積を行ったわけでございます。
そう、購入前のわくわくドキドキなあのパッションとエモーションに、親友Aはルンルン気分(死語ですが敢えて!)でした。

そんな彼が査定や見積を手に、愛する奥様に(るんるん気分で)相談します。
ここ、メモするところですよ。
彼は勝手に車を決めてしまう人ではなく、ちゃんと奥様と相談できる大人なのです。
そう、かれは愛する奥様の意見も聞こうとしたのです。
何しろ熱愛で結ばれた二人です。
彼は奥様を大事にしているし、奥様は親友Aの道楽を「大目に見てあげる」オーラを漂わせながら、そしておそらくニコニコしながら親友Aの話を聞いていました。
もちろんただ聞くだけでなく、この車だとこんなに便利で楽しい事があるんだ、などという親友Aのプレゼンテーションに受け答えしながら、この大きな買い物というイベントを二人で楽しんでいる風情でした。

と、ここまではよかったのです。
問題はいよいよ事の核心に触れたところで起こりました。
「で、この車いくらなの?」
「うん、けっこうお得で、600万円くらいかな(金額は想像です。たぶんそれくらいだったのではないかと思います)」
「え?」

奥様の顔色が変わりました。
まさに一瞬の出来事です。
そして奥様が次に親友Aに向けて言い放った言葉こそ、後にアマガセによって「賢者の言葉」と名付けられ、後世に伝えられることになった「至言」でありました。

「アタマ、おかしいんじゃないの?!」

哀れな親友Aのその時の心情をおもんばかってやっていただきたい。
親友Aにとっては、その車がその値段であれば、とってもリーズナブルだと思っていたのです。
しかし解する奥様は彼のその価値観を完膚なきまでに叩き潰したのです。
たった一言で。

「たかがクルマに400万以上かけるなんて、アタマがどうかしているとしか思えないわよ」

そう。
親友Aの奥様はクルマ(しかも新車輸入車)道楽とは無縁の世界で生きてきた、要するに真っ当なカタギの人だったのです。
彼はその事を、いや自分がせけん一般では「アタマがおかしい人」だと言うことをその時知ったのでした。

という話を、当時、今と同様にクルマの買い換えであーでもないこーでもないと言っていた私に親友Aが吐露してくれた時のわが家の驚愕と言ったら!
わが家は夫婦揃って orz となり、しばらく立ち直れませんでした。
まさに「アタマおかしいんじゃないの?」が極めてフツーだと思っていたのですから。
むしろ「クルマって500万円からだよね?」みたいな価値観で「覚悟」してから物色を始めるので。

もちろん私達がいわゆるセレブリティで大金持ちであれば最低でも500万円くらいのクルマじゃないとマトモなものはないよねえ、と語り合えるところなのでしょうが、いかんせん、フツーの庶民です。
つまり「クルマエンゲル係数が異常」という事なのですよ。
その異常さに気付かない我々はまさに奥方の言うように「アタマ、おかしいんじゃないの?」なのですよ。

今回、約780万円という見積書を前にして我々はもちろん賢者の言葉を思い出さずにはいられませんでした。
「アタマ、おかしいよね?」
「アタマ、おかしいね」

そう。アタマがおかしくないとそんな買い物できませんですよ。(・∀・)

考えても見て下さい。

1)年間走行距離 せいぜい3000km
2)普段の走行 駅までの送迎(しかも週に一度もない)
3)ほんの時々 信州までスキーに行く(年に一度だけだけど)
4)3ヶ月に一回くらい、駅より近いスーパーに買い物
5)半年に一度くらい、実家にいく(片道20kmもない)

のに、クルマ所有してるんですぜ???
あまつさえ今のクルマは全くピンピンしてるのに買い換えようとしているんですぜ?

アタマおかしいでしょ?

でもいいんです。
私達は親友Aの奥様の至言を「戒めの言葉」として片時も忘れた事は無いのですから。
年に3000kmしか走らなくても、
片道3km程度のチョイ乗りばかりでも、
エンジン暖まらないまま駐車場に戻るのがほとんどだったとしても、
ただの移動装置を使いたくはないんです。

文字を書くのに10本200円のボールペンで充分でしょう。
でも、私達はそんなボールペンじゃなくて気に入ったボールペンで文字を書いて、そんな自分に満足する事が楽しいと感じる人間なんです。
私達の用途なら、中古の軽自動車で充分です。
何しろ五体満足で元気な大人が二人だけの家庭なのですから。

でも、その片道3kmを充実した、豊かな時間にしたいんです。
遠くからだんだん近づいていく愛車の後ろ姿を見る度に「やっぱりカッコイイなー」とか「かわいいなー」って思いたいんです。
シートに座る度に、エンジンをかける度に、アクセルペダルを踏んでステアリングを回す度に、「うーん、楽しいなあ」と思えるクルマを所有したいのです。
それが自分へのご褒美だと思いますし、「アタマおかしい」んですが、それでちょっとした「シアワセ」が手に入るのです。
日々の暮らしの中で感じる、そんなちょっとした「シアワセ」がクルマを見る度に(乗らなくても駐車場で止まってる愛車を見るのが好きな私です)、乗る度に手に入るとしたら?

こんなに安い代金はないと思うんですよ。
もちろん払えない金額は出せませんし、明日どうなるかわからないのでローンは組みません。(さすがにこの金額だと多少なりともムリをする事にはなりますが)
つまり払える範囲でちょっと背伸びした買い物というのもシアワセポイントが高いのかもしれません。
たまたま私達夫婦がクルマ好きでアタマがおかしいのでランエボOKですが、クルマなんて普通に走ってくれて故障しないのが一番、なんていう価値観の夫婦だったとしたらもちろんランエボなどというチョイスはアリエナイでしょう。
でも、その場合は別の所に「ちょっとしたシアワセ」の発露を見つけるわけで、ひょっとしたらそれは私達夫婦にとっては「アタマおかしいんじゃないの?」と思わず突っ込みたくなるようなものにつぎ込んでたりするのかもしれないわけで。

とまあ、長くなりましたが、クルマを買い換える時には本当に親友Aの奥様の顔が目に浮かんでなりませぬ。
というお話しでした。(・∀・)