(初出:2010/08/15)
(E-P2/M.ZD14-42)
いろいろ考えて。
そして、決めました。
持っていた一眼レフと、その交換レンズを全部手放すことを。
当然ながら一眼「レフ」はこれからもしばらくの間は続くだろうと思います。
それはもう、間違いがないでしょう。
「光学ファインダ」にこだわる人はまだまだ多いし、現状(いま)のEVFではとてもとても光学ファインダの代わりにはならないだろうし。
なんだかんだいって私はどっちも好きだし、どっちにも長所と短所がある事を理解して使っていると自負しています。
いや……。
「使っていた」と過去形にすべきですかね。
私に限っては。
(E-P1/G VARIO 14-140)
最近、なにかと忙しいんです。
とは言っても「忙中閑あり」の言葉通り、何もできないような日常というほどではありませんから、ぽっかり時間が空く事もあります。
最近の私はそんな時間の使い途として写真を撮る事が多くなりました。
それまでも一日最低3~5枚の写真は必ず撮っていたんですが、一日に撮る枚数が相対的にかなり増えてきた事に、今さらながら気付きました。
それはMacのHDDの中にある「photo」という名称のフォルダの中味を見れば一目瞭然で、日ごとに分けているフォルダの中の写真の数が全然違う。
半年前と比べると別人のフォルダのようだと思うほどに。
残念ながら自分でも写真のセンスは平均以下だな、と思っていますから、撮る枚数が増えたからと言って傑作が次々と生み出されているわけじゃありません。
もっとも傑作を撮ろうとして撮影しているワケじゃないからそんなことはどうでもいいんですが。
いや。
ちょっと嘘をつきました。
やっぱり写真を撮っている者としては傑作は撮りたい。でも自分の身の程を知っているだけに、あんまり期待せず、それでもちょっとだけは期待しながら、とは言いつつ、それよりもむしろ撮影することを楽しんでいると言った方がいいかもしれない。
傑作を撮る為の研鑽とか努力をしていない言い訳ですね、はい。
傑作云々という話はまあおいといて、ともかく今の私は以前より撮る事が断然楽しんだろうと思うんです。
だから枚数が増える。
私の場合は特殊なシチュエーションを除いて連写モードに設定する事はないわけで、要するに単純にショット数が増えているということです。
AdobeのPhotoshop CS5におまけで付いてくるBridge CS5というソフトウェアが私の標準画像ビュワなんですが、そこに表示されている写真を眺めながら「なんでだろうなあ?」とぼんやり考えてみました。
まあ、結論はすぐに出たんですが。
何のことはない。
使っているカメラが変わっていたんだな、と。
以前は一眼レフを持ち出して写真を撮っていました。
でもここ半年は、一眼レフを防湿庫からチョイスする事が激減しているんです。
一眼レフの中でも比較的持ち出しやすいHOYA(PENTAX)のK-7と小さなDA Limitedレンズですら、もはやおっくうに感じるほどだから、それ以外の、たとえばNikon D700だとかSIGMA SD14や15だとかCanon 7Dなんかを持ち出す事はほとんど無いんです。
白状しますと、買ってから一度も外に持ち出してないカメラと……そう、レンズも何本もあります。
「ああ、そうか」
Bridge CS5から視線を外すと、私は振り返って通勤に使っているバッグから覗くカメラを眺めました。
μ4/3。
最近はこればかり持ち出していたんだな、と。
ボディも複数台持っていて、しかも毎日レンズを変えたりしているものだから、同じフォーマットばかりになっているという自覚があんまりなかったんです。
フォルダをちぇっくすると、日によってはコンパクトカメラだけの時もあったり、三週間一眼レフを触ってもいない期間があったりと、以外な事実を知る事に。
とまあ、今更ながらに愕然としたのです。
(E-P2/G VARIO 14-140)
要するに、です。
私には一眼レフはもう必要ないんです。
いや。
私には一眼レフはもう「ほとんど」必要はないんじゃないか。
そういう事なんだな、と。
私は見切りを付けるととたんに冷たくなるというか、興味をなくしてしまう人間だから、そう思った瞬間に防湿庫に入っているカメラとレンズがガラクタに見えてしまうんです。
ガラクタに防湿庫を占拠せておくわけにはいかないわけで、私は正義の? 鉄槌を彼らに下す事に相成った次第です。
価値観や目的、趣味や考え方など、人は一人一人違います。
だから私の考えに賛同してくれる人はまだまだ少ないと思います。
でも、私は本気でそう思っています。
「もう、一眼レフなんていらない」
つまり、私の撮っているものはレフの存在を必要としない物ばかりで、逆にレフ機の欠点にストレスを感じていたのだという事がよくわかりました。
いわゆる長玉はほとんど使いませんし、スポーツや素早い動きはほとんど撮りません(ハムスター撮影だけは問題だけど)。
連写をしないから、ライブビューのファインダ喪失の時間に悶絶する程でもない。
それよりも、テーブルフォトなどの近接撮影が多いから正確なピント、特に近接域でのフォーカス精度は「レフ」では得られないわけで。
マニュアルフォーカスとか関係ありません。レフという機構の持つ正確さ? に限界があるわけですから。
私の用途において、実は「レフ」はネガだったのだなあ、ということです。
もちろん、すっきりとした視界が光学ファインダの「一眼レフ」にはあります。
でも、歪曲やコントラスト不足、どこにピントがあっているのか微妙にわかりにくいファインダしかないカメラが多いのもまた事実。
暗くなったら合わせにくい光学ファインダ。
そもそも視野率が確保されていないモデルが圧倒的で、100%と歌いつつもそれはほぼ100%であって、ウソのない精密な100%視野率の光学ファインダなど存在していない事実。
反面、カメラの動きに追随しない画像しか出せないEVF。
原理的にリアルタイムが不可能な現状では光学ファインダを完全に置き換える事はムリで、そもそも高精細なEVFはまだまだ少数。
しかも標準では付いていないモデルの方が多い「レフレス」カメラ達。
確かにEVFはまだまだで、あれでは使い物にならないという人の意見は正しいと思います。
でも、私の中では閾値を超えたんです。
これなら使える、と。
そんなEVFが出てきているんです。
ありがたい事に私が使っているμ4/3にはそれがあります。
GF1のはちょっとアレだけど、それでも炎天下や暗い場所では充分です。
だからもうレフはなくていいと真剣に思っています。
それに、光学ファインダはもうどん詰まりで、視野率を確保するにはコストがかかり、物理の法則がある限り、倍率を1以上に上げると暗くなる。
要するに小さなフォーマットでは綺麗な光学ファインダを作る事はどんどん敷居が高くなるんです。
翻ってEVF。
こちらはまだまだ発展途上。
今より悪くならず、今より良くなる未来しか考えられない。
もちろんこちらもコストの問題はありますが、でも、きっと光学ファインダより問題解決は簡単に思えます。
要するに私は、踊り場にあるテクノロジよりダイナミックに変化する「モノ」が好きなんでしょう。
「レフレフ」なレンズ交換式カメラはこれからどんどん増えていくし、どんどん進化していく。
システムも百花繚乱の時代を迎えるに違いない。
そんなスタートラインの、それでも充分使い物になるシステムを今手にする事ができるなら、私はそっちを選んでしまう人間なのです。
ここに貼った写真を見て、改めて思います。
GH1にフィルム時代のOM ZUIKOレンズ。
このバランスがフィルム時代の一眼レフのサイズじゃなかったっけ? って。
少なくとも一眼レフはデジタルになる事によってどんどん肥大化してしまったと思います。
それがレフを捨て去る事でサイズのシュリンクにつながるのであれば、そっちの恩恵はかなり大きいはず。
EVFだ光学ファインダだなんて言っているよりもよほど実質的でかつわかりやすいんじゃないでしょうか。
それは誰の目にも明らかですし。
かくいう私も、小さくて軽いから毎日持ち歩くようになったというのが理由の70%を占めているのですからね。
小さい事は楽。
そして楽しい。
楽×楽です。
そんな事を真剣に思いつつ、レフがなくなり、さっぱりスッキリした二台ある防湿庫のうち、一台は処分しようかな、なんて考えている今日この頃です。場所とるしねー。