(初出:2010/11/28)
(GF1/LEICA DG45)
51200……
設定出来る事イコール使える事、とはならないけれど、設定出来ないよりは出来る方がいいに決まっている。
なぜなら、使えるか使えないかはユーザーが決めればいい事だけど、設定出来るか出来ないかをユーザーが決める事はできないから。
いやあ、でもまあ、緊急退避なのは間違いないところ。
とりあえずは見てちょんまげ5。
・ISO51200(クリックすると横1000ピクセルの拡大画像になります)
・ISO1000(同様に拡大します)
レンズはDA35mmMacro
f2.8開放
ズボラに手持ちなのでピント位置や構図が違ったりするのはご愛敬としていただければ幸いです。
そもそもISO値も51200とかになってしまうと、ノイズの量とかディテールが甘いとか色が多少どうのこうのと文句を言う方が「間違ってる」ような気になってしまう。
51200に設定して、何が写っているのか(充分に)わかっちゃう、という新しい世界に感動してしまう。
実は4/3を使い始めて、今はμ4/3がメインだけど、どんどん高ISOでのノイズに対する包容力というか、諦めの良さというか、要求水準低っというか、そういう感じになっているので、51200の画像、個人的には「使える事も充分ある」と判断しています。
特にブログ用とかだと結構イケちゃうんじゃないかと思います。
私はブレている写真は全くダメですし、ピント来てない写真もかなりダメです。
つまり、ブレ無い事が最優先事項であって、その為なら悪魔(シャッター速度)に魂(クリアネス)を差し出します。
人によって差し出す魂の量が違う、という事になりますが、その「魂の絶対量」を、HOYAはK-5で相当に引き上げてくれたという事なのです。
デジタル時代になって、一眼レフ(じゃなくても設定出来るならなんでも)の撮影スタイルが大きく変わったように思います。
私は基本的にアイリス優先モードで撮影するスタイルをずっととっていたのですが、μ4/3をメインにし出してからは、完全にかわりました。
モード:P(プログラム)
これです。
もう、これ以外考えられません。
だってプログラムシフトが使いやすいんだもん。
勿論以前からプログラムシフトはありましたが、気軽にホイホイ?使えないような気分だったんです。
でも、μ4/3を使い始めてから、「ノイズオッケー」「ノイズ上等!」な破れかぶれ?感と友達になってしまった為に、パラダイスを手にしたわけで。
そのフィルム時代には考えられなかったパラダイスとは……ズバリ、禁断のニホイがする「ISOオート」という機能。
これとPモードの組み合わせこそが、二十一世紀のカメラの操作ロジックの王道じゃなイカ?と思うのです。
問題は、ISOオートの上限をどこまでにするか。
それこそが、メーカーが我々ユーザーに突きつけた「魂の絶対量」に支配される我々が撮影に臨んで差し出す対価なのじゃなイカと。
K-5のすばらしい所は、そのISO AUTOの範囲を、実に細かく定められる事。
全部のカメラは知らないけど、ISO80-51200の間で、上限だけでなく下限さえ自由に設定できるのは、K-5だけなんじゃないかな、と思いますが、どうでしょう?
そしてこのK-5。
まだまだコミュニケーションをとりながら遊んでいる段階ですが、普段使いで上限を1600にしてなんの問題もないと感じています。
ちょっと前のISO100固定モードがISO上限1600オート、という感じ。
ISO3200以上が必要な時に「ちょっとISO上げるかな」と初めてISO値を思い出せばいい暗いじゃないのかな、と感じます。
それでも6400までは全然平気です、私。
たぶん12800でも気付きません。モノによっては。
そしてK-5はそれぞれのISO値でノイズリダクションの強弱を個別設定出来てしまうというマニアックさを持っているので、とことん好みの設定をいじくりまくれます。
つつける重箱の隅が多くて大変ですよ、このカメラ。