趣味と暮らしにまつわる「モノ」に一喜一憂するブログ

★FOSTEX P1000-BHその後

オーディオ系

さて、新たに導入したFOSTEXの10cmフルレンジスピーカーユニットEF103Enと同社のバックロードホーン(BLH)型エンクロージャーP1000-BHで組み上げたスピーカーから出る「ぼへ~」っとした音を聞き続けた週末が去り、新たな一週間がはじまった月曜日でございます。(初出:2017/02)

「ぼへ~」っとした音にだんだん慣れてきた耳をリセットすべく、イヤホンで同じ音を聞きながら通勤する事に決めました。いやあ、良い音ですな、イヤホン。イヤホンと言ってもステレオのカナル型ヘッドフォンというヤツで、音漏れしない(しにくい。というか音漏れするほど音量上げるとたぶん耳が潰れる)便利なやつでございます。

因みに今回、新旧スピーカーの聞き比べに利用してる楽曲は次の通り。
ケータイ側はMacと同期したALACの音源をPowerAMPで再生。
BLH側は次の通り。
音源はCD
Windows10対応MEDIAMONKEY(最新版)でWAVでリッピング&演奏
デスクトップPCのHDMIポートから出力
AVアンプ → パワーアンプ → スピーカー という経路で鳴らしてます

Jpop系(アニソン系)は
・オーイシマサヨシ「君じゃなきゃダメみたい」(因みに、大石昌良ではない)
聞き比べのポイント:冒頭の疾走感のあるベースの音の速さと解像度。天才(と私は思っている)大石昌良のフレージングによって醸し出す情感のシズル感の差など。AパートからBパートを経て、少し溜めをもって到達するクドいサビをクドいと感じる事無くにノリノリに行軍するような気分なれるかどうかが最大のポイントか。

・黒石ひとみ「Starboard」
曲のタイトルが「左舷」ではなく「右舷」なのかは曲を聴くとなんとなくわかる。左舷は港に接岸する側だけど、右舷は海に面している。ようするに「Starboard」は海に出る方向、「漕ぎ出す」という意味あいですな。
よって、聞き比べのポイント:はまさに広大な海(ここでは空、あるいは空間)にふわりと浮き、あるいは滑るように滑空しているような気分になれるかどうかがポイント。声と演奏が一体化した音の透明感がキーになる感じ。

・nano.ripe「影踏み」
聞き比べのポイント:オモチャのような特徴的な「きみコ」の声質(いい意味で)がどれだけ浪々と響き渡るか。特にいきなりほぼ無伴奏で冒頭にくるサビの高音部の伸びやかさに注目。目を閉じると高校時代に夕方の教室の窓から見ていた、ジンとする寂しさを纏う夕焼けのシーンが瞼に浮かぶかどうか?

クラシックは
・チャイコフスキー 交響曲第五番 ←ストコフスキー/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(英DECCAステレオ版)
聞き比べのポイント:交響曲で「五番」と言えばベートーヴェンではなくチャイコ。異論は認めない。(・∀・)
これぞ交響曲。まさにメロディと演出のの百貨店(私が勝手に名付けた)。聞いた後に「あースカっとした」と思えるのが交響曲の最大の存在意義だと信じている私にとって、この曲はその最右翼の一つ。なので「聞き比べにこの曲を選ばないテはないよね」というド定番であります。
超人気曲なので、演奏はそれこそ星の数ほどあるのですが、私の知る限り「メロディと演出の百貨店」をモロに地で行っている演奏がこのストコの1966年版。基本的に演出過多の曲をさらに「これでもか」って感じにコッテコテに聞かせてくれる名演。いや怪演? なのでクラシック清教徒達からは「悪魔の書」とさえ言われている(大げさな(・∀・))。
楽譜の十小節二十小節のスコアカット(省略)はアタリマエ。とにかく指揮者が曲を「エンタテインメント」の「素材」として捉えており、オーケストラがまたノリノリでそれに応えて朗々と気持ちよく楽器を鳴らしている。第四楽章が終わった瞬間、ちっぽけな悩みなど吹き飛んで、思わず「ブラボー」と言えるかどうかがポイント。

・チャイコフスキー 序曲「1812年」変ホ長調 作品49 ←ストコフスキー/ロイヤル・フィルハーモニー
聞き比べのポイント:「フランス人のトモダチがいたら聞かせてあげたい曲ナンバーワン」として全世界的に有名な曲。同様に「フランスではこの曲を演奏する事が法律で禁止されている」というのも定番のジョーク。
実は高校・大学時代の私の夢(というか野望?)の一つは「パリ管弦楽団の音楽監督になって、序曲1812年を演奏する事」でございましたな。久しぶりに思い出しましたぜ。
曲自体を定番かつ普通の演奏で楽しみたいという人はカラヤンとベルリンフィルの演奏を適当に選べばいいと思いますが、この曲の真髄(快哉!快哉!!快哉!!!)を(エンタテイメントとして)体の奥から味わいたいと希望する人はこの演奏にトドメを刺すと言い切ってもいい程の歌舞伎の大見得的な、こちらも怪演です。
大砲の音を大太鼓でごまかすようなコンサートホールでの生演奏じゃ絶対に満たされない高揚感が、本物の大砲を使った録音にはあるわけです。しかも本物の教会の鐘の音もガンガン響かせるとか、もうね、これを聞いた後でそんじょそこらの「お行儀のいい」演奏を聴くと「お前ら、一度戦争してから出直してこい!」と言いたくなるほどフヌケ演奏に聞こえてしまうほど。というか、この演奏を聴くのはある意味で不幸かもしれません。さすが「悪魔」「魔術師」といわれるだけありますな、ストコフスキー。もちろんチャイコフスキーのスコアは無視……というか改変して「より楽しく」聞かせてくれています。
さて、オーケストラの演奏が不自然にアウトしていきなり合唱が始まる「切れ目」がいかに不自然に聞こえるかがポイントの一つ。ここが不自然に聞こえるほど再現性が高いのではないかと愚考する次第。そしてクライマックスの音の渦、メロディの爆発、阿鼻叫喚っぷりにどれだけ心が持って行かれるか。そして最後に鳴り響く鐘の音を聞きながら思わずガッツポーズを天に突き出せるかどうかが判断のしどころ。
因みに「自動車を運転中に聞いてはいけない曲」のベスト3くらいに入るかと思います。

・ベートーヴェン  ピアノ協奏曲第5番『皇帝』← グールド(p) ストコフスキー/アメリカ交響楽団
聞き比べのポイント:「皇帝」のCDも星の数ほどありますが、この演奏を聴いてしまうとあとはもう、ゴミみたいなものです。いえ、反論は当然あるでしょう。でも言い切ってしまいましょう。私にとってはこれ以外の「皇帝」など、ゴミである。カスである。うんこである、と。
私は「皇帝」って、なんであんなにクラシックファンに人気があるのか理解できなかったんです。「どこがいいんだ、あんな駄曲」とまで思っていました(すみません、ベートーヴェンさん)。特に誰でも知っている第一楽章の冒頭部分。あそこがつまらない。それまで聞いてきたどの演奏も「は?」という感じで続きを聞く気にならなかったほど。
でも、当時ある人に「ガタガタ言わずにこれを聞け。話は後だ」って感じで無理矢理押しつけられたのがこれ。実は私とストコフスキーとの出会い? のLP(当時はLPでした。CDではありません)でございました。
時間の無駄、人生の浪費、とまで思いつつも、そこまで言うなら、と取りあえず針をおとしたのですが……。
「え? 何これ!!!」
とまあ、演奏を開始してほんの数小節で思わず声を出したほど。
で、そのまま引き込まれて最後まで全く退屈せず、手に汗握りながら完聴してしまいました。以降、この演奏以外は皇帝ではないと思うどころか、いったい何回聞いたかわからないほど聞いちゃいました。
グレン・グールドという「怪人」とレオポルド・ストコフスキーという「魔法使い」がであった、まさに「奇跡の演奏」です。皆さん、この曲を聴いてから死ぬべきですな。ええ、もちろんクラシック清教徒の皆さんからは「異端」とされている演奏なのは確かですが、これ以上にのめり込んで聞ける皇帝があったらもってこいってんだ、べらぼうめ! という感じ。
ポイントは冒頭。あのテンポにイラっとせず、破綻を見せないどころか、旋律をまさに伸びやかに朗々と歌うかのようなオーケストラの包容力を感じられるか。そしてその向こう側にナポレオンが「神経質な小男」としてではなく「オーラをまとったダンバイン」として見えるかどうかで再現力がわかるというもの。

アニソンはともかく、オーケストラはけっこうな音量で聞きたい気になりますが、小音量で楽しめるかどうかがバックロードホーンの底力? ですからね。
因みにストコフスキーの演奏は当然あんがらどれもこれも古いだけでなく、そもそもミキシングでこってり弄ってますから「原音再生力」とかそう言うのは乖離したもので、いわゆるクラシック清教徒ならずともピュア・オーディオファンからは見向きもされないCDだという事は付記しておきます。

と、ここまで書いて何のエントリーなのか自分でも不明だな、と気付く月曜の昼下がり。