(初出:2011/06/09)
タイトルは冗談で……はありません。
実は本気でそう思ってます。
四六時中妄想しているような人間なので、思い込みに信憑性も裏付けもありません。
ただ、そう思っているだけ。
ちなみにご存じのない方に超簡単に説明しますと、ベイヤーとはスマートフォンを含めた普通のデジカメの画像はみんなソレなんだと思って下さい(画像生成方式が全く違うのです)。
事実とか、検証とか、この際どうでもいいじゃありませんか。
解像感でFoveonより上のカメラがあって、それがいわゆるベイヤー配列素子だったとして、それがどうしたというのでしょうか?
色でも階調性でも、もちろんダイナミックレンジでも、Foveonを上回るカメラはいくらでもあるじゃないかと、検証結果として提示されても、それがいったい全体どうしたというのでしょうか?
だって私にはゴミにしか見えないのですから。
例えばDP1xあたりを使ってビシっと決まった写真をMacのモニタにピクセル等倍に拡大して見た時に味わえるあの感動。
他のカメラでは決して得られない、Foveonだけがもたらしてくれる全能感。
それは安物ではなく、純度の高い麻薬のみで得られる最高の快楽にも似た体験なのです(って、麻薬とかやった事ないです。本当です。嘘じゃありません。例えです、例え>関係当局の方々)。
そう。
一度アレを見て、その高揚感というか快楽を知ってしまった私は、もうベイヤー系カメラのピクセル等倍画像はゴミにしか見えないのです。
ピクセル等倍鑑賞、最高ですよね。
意味が無いと言っている人には意味は無いのでしょう。
でも私には意味があるのです。
フィルム時代には到底味わえなかった、デジカメ時代だからこそ得られる写真趣味、まさにデジタルカメラならではの楽しみなのです。この楽しみを知らずに死ねるか、みたいな?
ベイヤーカメラの画像がゴミならば、フィルムの写真など私に言わせればゴミ以下です。
ああ、Foveon最高ー!
VIVA ! Foveon !
もうFoveon以外、使いたくねー!
というか、フォビオン以外はホビロンだー!
等倍画像によるエンドルフィン効果が続いている間は、私はいつもこんな感じでMacのモニタを見つめています。
が、しかし……
麻薬の効果がいつか醒めるように、Foveonによる愉悦も一生涯続くわけではありません。
DP1xがポケットに入らないな、と感じた時。
DP2xでは全然寄れないなあ、と思った時、
持ち上げたSD15の大きさに物々しさを感じ、その重さに目眩がした時。
そんな時に私は醒めるンです。
それも、急速に。
そしてそのあと寒気がして、体に震えが訪れます。
そしてGR Digital 3を手に取り、S95をポケットに入れ、P300を片手にするわけです。
あるいはXZ-1をバッグに放り込み、E-PL2を掴んで出かけるのです。
旅行鞄にはK-5とLimitedレンズを入れ、ようやく私はホッと一息つけるようになるわけです。
そんな普通の、私にとって羽のように軽やかなカメラを使っていると、心が落ち着き、体の中の毒気が抜けて浄化されていくのを感じます。
Foveon?
なんかそんなのもあったっけ?
みたいに。
そう、私はそうやって真人間に戻るのです。
そこまで校正できればもう幸せそのものです。
使い勝手としては底辺の、それこそゴミとしか思えないSIGMAのカメラを、何を好きこのんで使うのか、と。
アホじゃないかと。
いや、もはやマゾヒストか?
もしくは周りから変わり者と思われたい、ちょっとマニアを気取りたい、そんな人がガマンしてムリして使っているんだろうな、と思えるまでに回復するのです。
やっぱりメモにはコンパクトカメラ。
手ぶれ補正で明るいズームがあると最強だね!
ちょっとだけ画質にこだわりたい時には、XZ-1かな。
UNのレンズキャップ最高!
旅行にはやっぱミルクス(MILCS=Mirrorless Interchangeable Lens Camera System)だね。
一眼レフじゃないから小さく軽いし、何より大げさじゃなく気持ちがいい。
ミルクスではどうしてもカバー仕切れない時、ちょっとがっつり撮りたいと思った時は、レフ機のK-5を引っ張りだそう。
コンパクトでしっかりした、笑えるほど多機能なくせに愛らしいLimitedレンズを着ければとってもコンパクトに運用できる。K-5ほどアクティブな一眼レフは他にないよね。
そんな幸せな日々が永遠に続くと思っていたのです。
ああ、でも!
一度味わったあの快楽を、私の体は忘れていなかったのです。
完全に抜けたはずの麻薬は、骨の髄にその残滓を残しただけでなく、静かに、しかし確実に蝕み続けていたのです。
SD1。
それは眠っていた快楽の記憶を刺激して理性を揺さぶるキーワードとなり、忘れていたはずのあの感覚を渇望する自分をあぶり出す呪文。
そしてフラフラと防湿庫の奥深くに捨てたはずだった麻薬の残りを取り出すと、あの快楽を得ようと画像を等倍に拡大してしまうのです。
これだ、これだよ!
この感覚だ!!
私は今までいったい何をしていたんだろう?
ベイヤー?
そんなゴミなぞもうどうでもいい。
SD15でこの快楽が得られるのだ。
SD1を使ってしまったら、いったい私はどうなるのだろう?
という状況で、明日、SD1が来るんだぜ。
真人間に再び戻れるか、快楽に溺れて廃人になるか……
そんなこんなで泣いても笑ってもあと1日。