VOLVOは私のカーライフ(死語?)にとって、まさに異文化。
そしてもちろん、そこには違和感を覚える事柄が多く存在していました。
だがしかし。
そのうちの多くは「想定の範囲内」です。
というか、個人的には日本車に乗った方が異文化感? が大きいんです。仕事でクルマに乗ることのない、つまりプライベート・カーがずっと輸入車だったという私の様な人間にとって、日本車はむしろ新鮮な驚きに満ちているんです。そう、言わばワンダーランドです。
豪華?なミニバンや「これはバンだよね?」としか思えない最新ワゴン、そしてどこをどう走っても1リッターあたり20kmを下回ることのない燃費を叩き出すハイブリッドカー。
違和感どころか驚愕と感動の嵐と言っていいでしょう。
それに比べればVOLVOなど、所詮は欧羅巴圏のクルマ。私の想像の翼で覆えない部分など存在しない……。
そう思っていた時期が懐かしい限りです。
ソレをみた私は、内から湧き上がった驚愕を抑えることができず、思わずこう叫んでいました。
「なんじゃこりゃー!?」
そうです。
なんじゃこりゃ?
ええ、皆まで言わなくとも結構です。わかってます。ンなもの、ソレが何なのかなんて、見りゃわかります。
でも私が言いたいことをわかっていただけると、これほどうれしい事はございません。
で、一緒にツッコンでいただけるとこのエントリを掲載した甲斐があると言うものです。
キー。
クルマのキーですね、これ。
紛う方無き、キーでございます。
私だけでしょうか?
なんというか、こう、クルマのキーというものに価値……というと大げさですが、まだ免許を取り立てのガキの頃など、棺桶に片足突っ込んだ名誉教授の読経にも似た講義など上の空で、こだわって選んだお気に入りのキーホルダーにぶら下がる、ママンに買っていただいた自分名義のクルマのキーをニヤニヤしながら眺めていたあの頃。
講義が終わったら、ガールフレンドを呼び出してドライブに誘おう。そしてムフフ……などと考えていたものです。
言ってみれば愛車のキーはメタファー、いやアイコンとでもいいましょうか、クルマに乗っていない時はそれ自体が分身のように見えてみたものです。
つまり私にとってキーはその車、あるいはブランドやメーカーを象徴するような「カッコイイ」か「イカした」ものであってしかるべきものでした。人によってそれはあるいは「可愛い」であってもかまいません。ある意味全て同じ意味を成しているのですから。
そう、車のキーはロマンなのです。
なのにスウェーデン人ときたら……。
台無しです。むしろ大事故です。
友人同士でドライブして、ちょっと小洒落たカフェで珈琲タイム。なんていうシチュエーションは学生時代にはよくありました。で、テーブルにつくと、みんな申し合わせたようにキーを目の前に置いたりするわけです。
友人達の愛車のキーはやはりそれぞれ特徴があり、それを吊しているキーホルダーにもその人のセンスや趣味が垣間見えて、私は密かにその瞬間をいつも楽しみにしていました。
誰かがクルマを乗り換えたなんて話の後で、テーブルに置かれたキーを見ると、見慣れたものとちょっと違っていたりするとそれだけでご飯三杯おかわりできる、みたいな、そんな存在だったんです。車のキーって。
だがVOLVOはそんな単純でバカでそして愛すべき男の子達の密かな楽しみを根本から砕いてしまうに充分な事をしでかしてしまったわけで。
どうしてこうなった?
その「ぷらっちっく」の棒は何?
このキーについてはデザイナーと膝を突き合わせて小一時間問い詰めたいと真剣に思います。
私が学生で、もしも自分の車のキーがコレだったとしたら、友人達の目には絶対にサラしたくはないでしょう。
「お前のVOLVOのキーってどんなの? ちょっとみせろよ」
なんて言われても
「ああ、うん。また今度な」
と言って目を泳がせるしかないでしょう。
キーシリンダーからキーを引き抜いたときの驚愕。
それはまさに未知との遭遇。
そしてXC60のキーがこれでなかった事に対して神に感謝。